友達犬を発見!
※大福日記『
日々徒然』より
2005年8月25日(木)■ 等価交換の原則 ■ 大福:生後1225日目
『鋼の錬金術師』に「人は何かの代償なしに何かを得ることができない。これが錬金術における等価交換の原則だ」とある。これって、ホントその通りだと思う。じゃぁ、ボランティアはどうなのよ?となるかもしれないが、私めは無償により労働はしない。もっと言えば、ボランティアは大嫌いだ。何ゆえ嫌いかと言えば、責任をとらないから。ボランティアが主体となった活動で問題が生じた場合、その件についてクレームなり問い合わせをすると必ず言うのが「私たちはボランティアなんで・・・」だ。言葉にはしていないが、続く言葉は「・・・だから大目に見てください。責任までは・・・」というようなことなのだろう。
労力を提供するなら、それに見合った報酬を得なければならない。報酬の基本となるお金だけで物事を判断してはいけないとも思うが、お金は物事を円滑に進めるための潤滑油となるのも事実なのだ。
犬飼い社会での等価交換とは何かと考えてみる。それは情報の等価交換とも言えるのではないだろうか。お互いに知りえた情報の交換をするということももちろんあるだろう。それに加えるのは得た情報をしっかり消化するということも立派な等価交換と言えるのではないだろうか。
愛犬のことで悩みまではいかないまでも相談される。知っていることだったらアドバイスもする。しかし、結局はそれを実行もしない。例えば、リードつけたまま放す飼い主。いざと言う時にリードを踏んづけて犬を確保できるからというのが理由だろう。しかし、それでは飼い主の思惑に反してリードが手を離れてしまった場合でも、犬は自由に走っていいと勘違いするのは明白である。だから、絶対にリードをつけたまま自由には知らせてはならない。こんなことを何人の飼い主に話したことだろう。その場ではフンフンなんて聞いているが、違う場所でリードつけたまま走らせて遊んでいるのを何度も見たことがある。打っても響かない太鼓のようである。
そして、ついにリードをつけたまま走って道路に出てしまい、車に惹かれて死んでしまった可哀想な子が出てしまった。
友達犬と飼い主さんを発見してスタンバる大福。
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