神奈川県座間市で9人もの被害者が出てしまった猟奇殺人事件。思いのほかはやく被害者の方全員の身元が判明した。日本の警察の捜査能力の素晴らしさが感じられる。
身元が判明したこと。被害者が確定してしまったご遺族にとってはなんとも複雑な心境だろう。身元が確定しなければ、自分の親族ではない可能性がまさにいちるの望みとして持てる。しかし、大きなモヤモヤ感は常につきまとってしまう。どちらが良いか?というレベルのことではないが心中が察しられる。
ところで、身元が判明したことにより被害者の方の名前どころか顔写真まで公表されている。この名前と写真の報道についてもなかなか判断が難しい。名前が公表されることにより、被害者の方に近しい親族や友人・知人は被害に遭ってしまったことをより身近な出来事として知るだろう。と同時に名前が公表されただけで顔も理解することもできるはず。であれば、顔写真の公表はどういう意味があるのだろう。その写真も最近のモノではなく中学生時代などかなり古いモノが公表されていることが多い。世間の誰に向けての写真の公表なのだろう。そして、公表の意味は?
勘ぐった見方をすれば、報道の見映えだけのことなのではないのか?という気もする。今年の新語・流行語大賞候補の中に「インスタ映え」というのがあったが、テレビや新聞、雑誌のニュースの見映えのための写真公表なのではという気がしてしまう。実際、この愚blogですら、文字だけのモノより写真などを載せたほうが見映えはするし、本人(自分)の満足度も高くなる。ニュース報道において、古すぎる写真を掲載する意味がまったく理解できないのである。
2001年(平成13年)にフジテレビ系列でドラマ『HERO』が放送された。その中で木村拓哉さん演じる久利生公平検事のセリフの中に「自分は被害者の人権を守るために検事になった」との言葉があった。これ、だいぶインパクトを感じた。加害者の人権を守るのが弁護士・・・との図式がドラマなどで定着していたし、敏腕弁護士を主人公にした物語も多かった(今も)。検事を主軸にした物語はあまりなかったから、このドラマは不思議な雰囲気を出していた。
被害者やご遺族の人権を守るという観点から考えると、なおさら被害者の方の写真公表の意味が分からないのである。ましてや古すぎる写真を公表する意味が・・・。それらの写真により外野である野次犬に要らぬよかならぬイメージや推察をも与えているのも間違いないと思う。
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