ある飼い主さんが安楽死という選択で愛犬を旅立たせたようだ。その愛犬ちゃんはSNSにも頻繁に登場していたので認知度は高い。あるころを境にして登場数が減ったので老いてきたのかな、或いは具合が悪いのかなと少々は気にしていた。その飼い主さんも特に触れることなく時が過ぎていたので、こちらもあまり気にしていなかった。ところが、ここに来て旅立ったのと記述があった。読めば安楽死の選択のようである。
誤解なきよう願いたいが、飼い主さんの安楽死の選択を非難するものでないことをあえていっておきたい。というのは、自分の選択肢の中にも安楽死という選択があった時点があるからだ。
我が家の愛犬柴姫・大福が旅立って間もなく丸3年がたと経とうとしている(2015年6月に旅立った)。下痢便が止まらくて、やはりどこか変だと思い始めたのはその年、2015年の5月の中頃のこと。毎年春に健康診断を受けていたが、その年の4月の健康診断では、13歳にしては・・・ということではなく、生涯の中で一番健康状態が良いとの診断をを受けて飼い主としてはこの上なく喜んだばかりだった。なのに、5月になって下痢便が止まらなくなり顔にも動きにも掃きが感じられなくなった。クルンとしていた巻尾も伸びていることが多くなった。やっぱりおかしいと思い、かねてより縁があれば一度は診てもらいたいと思っていた獣医師さんの病院を訪ねた。まず触診と血液検査。そして、血液検査の数値を見て獣医師がいった一言・・・。
欧米あたりだと間違いなく安楽死を勧められるほどよくない状態です・・・。
え?なんていったの?聞き間違い?安楽死?大福が?
頭の中が真っ白って言葉をよく目に耳にするが、あの時の状態がまさにそれだった。帰りの車の運転大丈夫か?と自分でも思うほど放心していた。そんな飼い主の様子を後部座席から大福が野次犬のように見つめている。今思い出してもシンドかったなぁ。結局、大福は最初の診断から1カ月ほどで旅立った。
安楽死の選択はしなかった。でも、あまりにも本人がつらいのなら、楽に旅立たせてあげることも良いのかな?と何度も自問した。しかし、その選択に至らなかったのは、つらそうだなと見て分かるのに、大福はいつも通り生きることを続けていた。犬の最大に可愛いところは、常に与えられた目の前の現実を受け止めて生きているところなんだと思っている。そして、それは我ら飼い主、いや人も見習うべきことなのだとと思っている。
最後の獣医師に対してもそれまでの主治医に恨みつらみなどまったくない。むしろ。最後にノックした獣医師に対しては、この先生でダメだったんだから、他でも無理に決まっているとさえ思えるほど信頼できる獣医師だった。良い獣医師に巡り合えたことに感謝したいし、残念な縁ではあったが。機会を作ってくれた大福にも感謝の気持ちでいっぱいだ。
今回、愛犬を旅立たせた飼い主さんも苦渋の選択だったのだと思う。ただ、これから先、必ず「あの時、違う選択をしていたら・・・」との思いをすることだろう。たられば・・・これ病気の愛犬を持つ飼い主にとって究極のたらればだと思う。
でも、後悔も自責の念も含めての選択だから仕方がない。もし、安楽死を選ばない選択をしていても、旅立たせた後には別の後悔の気持ちが残るはず。愛犬ちゃんは飼い主さんの苦渋の選択をちゃんと理解してくれている。だって、大大大好きな飼い主さんが悩みに悩んで出した結論だもの。
だから、思う存分?愛犬ロスの時間を過ごしてほしい。泣きたくなったら我慢などせずに泣けば良い。それも供養のうちだから。
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