知らぬふり
この事件が注目されたのは事件もさることながら、亡くなられた方が暴行を受けていた間(約10分間とか)、同バスに乗っていた乗客30名ほどが誰一人制止しなかったことが問題?になっている。
確かに非難めいたことを言われても仕方ないのかもしれないが、この頃の殺人事件の動機に「誰でも良かった」みたいな無差別殺人が多い。迂闊に正論を掲げて注意したり、暴行されているのを制止しようとして事件に巻き込まれたくないという感情がまず先立つのも仕方ないのではないだろうか。今の時代に於いて、それらを正義感や連帯感という言葉を用いて非難するのもどうかと思ったりするのである。
自分だったらどうするか・・・恐らくそのバスの乗客同様に知らぬふりするのではと思う。知らぬふりしたことを後で悔いることが分かっていても、その場では知らぬふりしていると思う・・・。
それにしても、バスの運転手は何故、男が携帯電話を使用し始めた段階でマイクなど使って注意しなかったのだろうか?そっちのほうこそ大いに問題視すべきなのではと思うのだが・・・。
お花見

今日は絶好のお花見日和。
我が家のお花見はよく見られるような桜の木の下にシート敷いてお弁当食べて・・・という風情のあるものとは全く違う。桜とお花見している人達を合わせて見物するという何とも野次馬的で考えようによっては味気のないものと言える。と、不満げな表現になっているが決して不満なわけではない。あくまでも春の景色として楽しんでいるのである。
そんな我が家のお気に入りの桜スポットは何と言っても溜池山王にあるアークヒルズの桜。今まで、飛鳥山に始まって、六義園、上野公園、谷中墓地、千鳥ヶ淵、靖国神社、青山墓地、目黒川など都内の桜の名所と言われるスポットを体験してきたが、一番のお気に入りはココなのである。桜見物に来ている人達も含めて「桜のある風景」として見るとどうしてもココになってしまう(日本全国で考えると奈良の吉野山だけどね)。
今日はちょうど年に3日間だけの「桜まつり」の日だったこともあって、満開の桜の下で歩行者天国を楽しんできた。桜の季節になると自分が日本人であることを再認識してしまうのであーる。
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尊敬の眼差し
愛犬柴犬・大福の朝散歩の時に小学校の校庭でサッカーの練習をやっている父子がいる。まだ登校時間前にここ数ヵ月間毎日のようにやっている。毎日やっていることもすごいと思うのだが、感心してしまうのは練習の内容。
小さい三角コーンを持参してドリブルやパス出しのコースを練習している。ものすごく地味な練習で遊びの要素はかなり少ない練習を連日繰り返している。その単調で退屈にも思える地味な練習を小学校三年生ぐらいの子供が少しもつまらなさそうにもなく、むしろ楽しそうに毎日やっているのである。練習している子供の目は輝いていて、父親のアドバイスに耳を傾けて聞いている。父親のほうも怒号などあげることは一切なく、子供が楽しめるようにニコニコしながら一緒に走り回っている。7時半頃には校庭からいなくなっているので、家に戻って子供は登校、父親は出勤でもしているんだろうか・・・。
子供に球技を教えたりしている父子の姿は公園でよく見かけるが、たいがいは土曜か日曜の昼間や夕方だ。しかも教えると言っても、一緒に遊んでやっているという感じがほとんどだ。もちろん遊びなんだからそれでじゅうぶん。だってどの子供の父親を見る眼差しにも尊敬が込められているもの。
何才ぐらいになるまで、同じ様な眼差しで父親を見ることができるんだろうなぁ。逆に言えば、子供が何才ぐらいになるまで自分(父親)を尊敬の眼差しで見てくれるのだろうとなる。そう考えると父親ってのはかなり責任があって大変な役割なんだろうなぁ。子を持たぬ身としては一生経験できない視線の一つである。
ちなみに朝の子供がここのところ見違えるほどサッカーが上手くなっているのは言うまでもない。テクニックもさることながらサッカーの思考回路が出来上がってきているように思える。
野球禁止
と、ここまで見るとやってはいけない公園内で野球をやっている子供達や親たちに苦言を呈しているように思えるかもしれない。まぁ、確かに野球とかやらないでくれたら愛犬と散歩する立場としてはありがたいことなのだが「ちょっと待てよ」と思うのである。
いったいいつの頃から公園内で野球をしてはいけなくなってしまったのだろう?少なくても私めが子供の頃は公園で野球をやっていても誰からも文句もお叱りもなかった。確かにウチの町内には運動公園なるものが存在しているのでソコを使えとなるのかもしれない。だが、こちらのグラウンドは本格的すぎてだいぶ敷居が高い。どちらかと言うとちゃんとした?チームが使うようなグラウンドで草野球以前のキャッチボール組が使うような場所ではない・・・と言うような図式が出来上がっているように思える。
公園での野球はきっと他の子供達に危険だからと禁止しているのだろうが、何でもかんでも危険と見なして禁止していては「痛み」も知らない子供達が増えてしまうのではないかのかなぁ・・・。痛みを知らずして人間関係や気配りもできないだろう。大袈裟なのは分かっているが、ここのところ犯罪年齢の低年齢化と関係ないとは言えないと思うのだけれど・・・。
モノは大事にね
そして、そのどれも(上着は知らないが)には持ち主の子供の名前と住所電話番号が書かれている。遠き昔、確かに自分のモノには名前を書いておくようにと親からも先生からも言われていたような記憶がある。
しかし、ここまで忘れ物や落とし物が多いと、今時の親は名前を書くことだけ教えて、モノをなくさないように(大事にするように)というようなことまでは教えていないのでは?と思ってしまう。裕福なのかどうか知らないが、例え裕福だろうがそうでなかろうがモノは大事にしないとイカンよ。