動物らの死の概念
猫のチャウイは頸ガンのために死んでしまった。飼い主さんは、亡骸を同居猫のビッグボーイに見せるべく居間に置いてみた。ビッグボーイにチャウイの死を認識してもらい、チャウイを探したりしないようにして欲しい思いからの行為だったとか。
やがて、チャウイのそばにやって来たビッグボーイは怪訝な表情や仕草でチャウイにちょっかいを出す。「おい、何してんの?」「遊ぼうよ」とでも言ってでもいるようにさかんに手を出したり被毛を舐めたり・・・。やがて事の次第を理解したのかちょっかいをやめる・・・。翌日からは普通の生活に戻ったらしい。もちろん、チャウイがいない新しい現実の中で。
猫もそうだが、犬や他の動物達も死の概念はきっとないだろう。自分もいつかは死んでしまう・・・とか、ここから飛び降りたら死んでしまう・・・。車に轢かれたら死んでしまう・・・。そんなことはまったく考えていない。いや、考えもつかないはずだ。ただ、死んでしまった動物には何かを感じているのはまず間違いないだろう。
我が家の愛犬柴犬・大福がまだ元気だった頃、まさに無二親友といっても過言でもない、フレンチブルドッグのガッちゃんが2013年(平成25年)7月28日・日曜日に亡くなった。朝、飼い主さんから連絡をもらって家に伺った。その時の大福・・・。気のせいかもしれないが神妙な顔つきで行動していた。亡骸を入れてあるところに入らなかった・・・。体を伸ばしてガッちゃんの匂いを嗅いでいた。しばらくして、不思議な顔をして飼い主である自分のほうを見ていた。明らかに何かを感じとったと今でも確信している。死んでしまった・・・という意味は分からずとも普通じゃないことは理解したようだった。
死の概念はないから、人と違って自殺することもないらしい。でも死の概念はないが、この先にはとてつもなく巨大な危険が潜んでいることはきっと理解できるのだと思う。だから、『ゴルゴ13』の「黄金の犬」のラストシーンでの行為は自身の判断ですることはまずないのだろう。でも、ゴルゴしたように命令コマンドなら危険な谷底にも飛び込むかもしれない。飼い主に対しての愛情の一つが絶対的な服従だから。
2011年のニューヨーク・テロの時の都市伝説にこんなのがある。最初に飛行機がビルに突っ込んだ時、救助隊と共に事件現場の1階にたどり着いた救助犬ら複数頭。リーダーの救助隊員の「そこで待つように」とのコマンドを受けて現場で待機していた。やがてビルの崩壊が進み、待機している救助犬らの上にもたくさんの落下物が・・・。救助犬らは、コマンドの解除がなかったため、その場所から動くこともなく瓦礫に埋もれて命を落とした・・・というものだ。
犬たちの普段からの人との関わりを見ると、都市伝説ではなく実話かもしれないと思えるところが何とも切ない。
先の『ゴルゴ13』、「黄金の犬」での最後にこんなことが書かれている。
「子供が産まれたら子犬を飼うがいい。子犬は子供より早く成長して子供を守ってくれるだろう。そして、子供が成長すると良き友となる。青年となり多感な年頃に犬は年老いて死ぬだろう。犬は、青年に教えるのである、死の悲しみを」
と・・・。
■ ガッちゃんのご遺体に接する大福。※飼い主様の許可を得てます。
■ ゴルゴと最後の繋がりを確かめる犬たち。
■ ゴルゴの目がいつになく優しい。ゴルゴを見つめる犬たち。
■ パラシュートで崖の上から脱出したゴルゴは犬笛を吹く・・・。
※『ゴルゴ13』、「黄金の犬」から。