合成か否か
電車の座席に座って、テヘッとしているサモエドさんの写真・・・。
う~ん、ヨーロッパあたりの犬先進国ではあり得ない写真でもなさそうだ。一方で、上手く合成させた写真といわれたら、それもあり得そうな気もしてくる。
合成か?否か?・・・
どちらが、正しいか白黒つけないと楽しんではいけないのか?
なんだか面倒臭い話だなぁ。楽しければどっちでもイイじゃないか・・・ではいけない世の中になってしまったのかな。目から耳から入ってくる情報をまずは疑うわなければいけない世の中って鬱陶しい気がする。
『POPEYE』(ポパイ)が創刊されたのが1976年(昭和51年)。いきなり、この時代と比べることもナンセンスな気もするが、流行や文化をテレビやラジオ以外から情報を得る方法は雑誌しかなかった時代だ。
先のポパイでは、さかんにアメリカ西海岸の特集を組んでいた。そうLAライフである。驚いたよね、海の向こうではそんなことになっているのか!セカセカした日本とは遊びのスケールが違う!あ~憧れのLAライフ・・・どれだけ多くの若者が見知らぬLAライフに憧れたものか。
誌面を飾るLAライフの写真。そして、それらを語る誌面の文章。読む者は誰もその内容に疑問すら持たなかった。でも、今時代は、インターネットがあるから、情報の収集スピードが著しく速くなってしまった。収集のスピードどころか、本物か否かをジャッジするスピードも同時に速くなってしまった。
そのことにより、情報が自分の好みかどうかを判断するのとほぼ同じタイミングで、「え?これって本物?もしかする作り物?」との疑念が湧いてしまう・・・この行為?って邪魔じゃないか?面倒臭い気がするのである。必要もないひと手間?が勝手に脳内にはびこってしまっているのである。
ま、昔は娯楽が少なかったから、どん欲に自分の好みや流行を作り上げたとなる。そして、昔は幼稚だったといえるのかもしれない。信じる者は救われる・・・そんな感じかな。頑固に懐古主義にこだわっているつもりはないのだが、楽だった気がするんだよね。あの頃って・・・。
若者は、バカ者ってことだったのか?