柴犬って感情が顔に出やすいんじゃないのかなぁ・・・(^o^ゞ
※大福日記『
日々徒然』より
■ 夏のトドメ ■ 大福:生後864日目
今年の夏はネットや実社会でも犬たちのアクシデントや不幸話をたくさん聞いて嫌気がさしていた。夏も終わろうとしている今、嫌な話のトドメとなるようなメールが1通届いた。
昨年の5月11日付けの『日々徒然』で取り上げた柴犬・豆太郎くんが亡くなったというお知らせメールだ。彼は7才にして新しい飼い主さんを見つけなければならないという悲しい運命を背負ってしまった子だ。飼い主が同県ということでお節介してたら、3県ほど離れたところの方が引取りを申し出てくださった。元の飼い主は犬抜きで考えれば、相当困難な背景を背負ってしまっていた。同情する点も多々あった。しかし、犬が介入すると言葉が「里親探し」や「里子に出す」となっても所詮は「犬捨て」になってしまうのでは?と大きな疑問を抱いていた。
しかし、そんな疑問よりまず厳しい環境化に置かれた彼の身を最優先すべく、新しい飼い主さんにすべてを委ねた。委ねた後は、悲しいかな新しい飼い主さんに任せっきりだった。その点では騒いだだけで無責任だったと反省するしかない。
新しい飼い主さんのご苦労は相当なものだった。まず、彼はいくつもの病気を抱えていた。実際、亡くなった直接の原因も引き渡し当時から抱えていた慢性腎炎を起因とした急性尿毒症によるものだったらしい。そして彼は想像通り立派な柴犬魂を継承していて、なかなか新しい飼い主さんに心を開いてくれなかった。脱走を何度も試みたり、食事を拒否したりと新しい飼い主さんを相当悩ませていた。引き取り当初の様子を教えてもらうにつけ、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
しかし、そんな彼も亡くなる頃は新しい飼い主さんのもとで家族の一員であることを認識してくれたようだった。悲しい話の中で唯一、救われることだった。
犬は自分が捨てられることをって絶対に察知していると思う。それは、実際に犬を(特に日本犬)飼っている方ならウンウンと頷いてくれるだけの確信を一緒の生活の中で見出すことができると思う。だからこそ不憫なのだ。
彼は、ネットの裏側で人知れず最後を遂げた。私も大福も残念ながら彼に会ったことがない。しかし、本来なら必ず会えていた子だったと思う。オフ会などで彼に会った飼い主さんもけっこういらっしゃるはずだ。幸い?ネットのお仲間が彼に実際に会ったことある飼い主さんにお知らせをしてくれたようだ。それでも、彼の死は裏側の出来事のような気がしてならない。
最後のお節介として、掲示板『寄合』に彼用のメッセージ書き込みスレッドを1個作ってみる。どれだけメッセージが集まるか分からないが、いただいたメッセージをまとめて彼へのメッセージページでも作ろうかなと思っている。
≪豆太郎ページ作成と削除≫
2004年9月3日に簡単だが『豆太郎くんへのメッセージ・ページ』を作成。しかし、9月4日に旧飼い主(棄て主)よりメールでページの削除依頼があったので熟慮の上、9月12日に削除。
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