伝えるチカラの大切さと必要性
長野智子さんがラジオ出演したと知ったので、1日遅れで『radiko』の「タイムライン(聴き逃した放送を聴くことができる)」で視聴。
テレビの視聴率調査もそうだけど、ラジオの聴取率調査なんかも今の世の中では意味がないのかもね(ずいぶん前からだと思うけど)。
彼女がラジオで話すのは、あまり聴くチャンスがなかったのでしっかり聴いてみたのだが、やはり長年、テレビで視聴者に伝えることを培ってきたチカラはスゴイね。日本語がしっかり耳に入ってくる。
テレビでスタジオ外からの取材記者などが話すことも多いが、喋りのイロハが成っていないから聴いていてイライラする。この時世、リモート出演なる手法が当たり前になっているから、イライラは増すばかりで、チャンネル替えてしまうこともシバシバ(柴柴)。ラジオなんか喋り手の姿すら入ってこないからイライラはマックス。
その点、この日の彼女の喋りは、くだけた内容の話もスンナリ耳に入ってきて、しかも優しい響き。スゴイなぁ、ベテランの地力って。
放送のほうは、彼女がいわゆる芸能方面(テレビ局の局アナ)に入ってきた経緯なども紹介されていたが、人との縁や関わりの大切さを改めて知った。あと、タイミングも。
大学生当時の彼女には会ったことはないが、学校から縁の始まりだった文化放送があった四谷の若葉町まで歩いていたという姿が目に浮かんできた。一気にタイムスリップしてしまい、昨日の夜なんか夢の中で、越美晴ちゃんの「ラブ・ステップ」まで流れるてくる始末・・・何でこの曲なのよ(~_~;)
今の困難極まる時代こそ、彼女が再び伝える側に位置するようになることを切に願いたい。これは「待望論」である。しっかりしろよ!いわゆる業界!
しかし、何故「ラブ・ステップ」なのか?サビのフレーズが油断すると今も頭の中で鳴り始めるし・・・(´Д`。)
マチネの終わりに
ネタバレ度:★★(3点が全バレ)
満足度:★(5点満点中)
チコちゃんが、出した問題の正解を回答者が一発で当ててしまった時に放つひと言「つまんなねぇ奴だなぁ~」風にいうのであれば、
つまんねぇ映画だなぁ~
となる。
しかし、見た人たちのレビューは、すこぶる高スコア。自分の感覚こそが時代にマッチしてないんじゃないのか?と悩みそうなほど高評価なのである。
でも・・・これ面白いかぁ?40歳女性と38歳男性カップルの物語なのだが、薄っぺらで見ていて恥ずかしくなってくる。もしかして、カップルが行き違いになってしまうきっかけが「スマホでのやり取り」ってのが、今風すぎてダメだったのかも・・・と思って、原作の発表時期を見たら2015年となっていたので、それほど今時代と違いがあるとは思えない。知り合って20年も良い距離感を保ち続けていて、ようやく婚約にこぎつけたジャーナリストの小峰洋子(石田ゆり子)に事情を知りながらも求愛するクラシック・ギタリストの蒔野聡史(福山雅治)だが、たかがスマホのメッセージだけで、情熱が一気に萎えてしまう(諦めてしまう)ほどの熱量だったのかとシラケてしまう。
マチネって昼の公演のことをいうらしいが、自分にとってのマチネとは、一日2公演することをいうのかと思っていた。もし、マチネを2公演と解釈するなら、誤解から違う生活を営んでいた2人の時期を「昼の公演」。誤解が解けてセントラルパークでお互いの姿を見つけて歩き始める2人の今後こそが「夜の公演」であったりするのかもね。あ、古谷一行は完全にミスキャストね。
■ 予告:
オジュウチョウサン3着敗戦
今日(11/14)阪神競馬場でかなり悲喜こもごも・・・いや、「悲のみ」のレースが実現したようだ。
第8レースに「第22回 京都ジャンプステークス」というレースが組まれたのだが、このレースに『オジュウチョウサン』という9歳馬が出場した。この馬、9歳馬ながら障害レース界では超が付くほどのスーパーホース。なにしろ、中山グランドジャンプというG1レースを5連勝するほどの名馬。
その名馬が今日、出場したのだが、なんと6頭立ての3着に負けてしまったのだ。
なぜ「悲のみ」なのかというと、6頭立てというところがミソ。あまり一般的には話題にならないが競馬には「複勝馬券」というのがあって、3着までに入線すれば的中となる馬券があるのだ。ところがこの複勝馬券。3着入線で馬券対象になるのは、出走頭数が8頭以上の時からなのだ・・・。
今日のレースは6頭立て。このレースでの複勝馬券の対象は2着までなのである。
オジュウチョウサンの3着は馬券の対象にならなかったのである。
このレースのオジュウチョウサンの単勝馬券(1着を当てる馬券)は、1.1倍(100円が110円になるという意味)。複勝馬券は、1.0倍から1.0倍(他の馬券対象馬によって配当が違う)。
オジュウチョウサンの複勝馬券は、他の5頭のどの馬が複勝馬券対象内(2着まで)に来ても1.0倍にしかならないのである(100円が100円にしかならないという意味である)。こんなにハイリスクなギャンブルに手を出すのは、小口馬券購入者ではないだろう。結果的には、100円が100円にしかならないレースになってしまったが、これが、もし1.1倍(110円)にでもなっていたら、100万円買っていたら10万円の儲けになるのである。1000万円なら・・・と欲の皮は突っ張り放題である。
しかし、オジュウチョウサンは馬券の対象にならなかったので、100円が100円どころか、100円が0円になってしまったのである。100万円も1000万円も0円というわけである。
このレースの複勝馬券の売上げは、1億3454万6800円だったとのこと。オジュウチョウサンが3着に死んだ瞬間、どのくらいの喪失感エネルギーが天に舞ったことだろう。
競馬に絶対はない・・・競馬ファンは皆知っているはずなのに、魔が差す時があるのである。この魔はデカいぞ。
文明進化に感化されて
今思え返すと、音源がレコード(アナログ)からCDに変わりつつある頃。そんな に抵抗がなかったように思える。それは、CDになることにより音質が良くなるという恩恵もさることながら、レコードを保管しておくスペースが縮小されるということもあったのかもしれない。
CD化に伴い、CDを音源としての受け皿といえる録音媒体(録音する側)もカ セットテープ、MD、CD-Rと変化していった。そして、iPhoneなどの機器が登場して、音楽を楽しむという環境は大きく様変わりした。オールドタイマーとしては、まさかCD音源さえも世の中の無用の長物になるとは夢にも思わなかった。ネット配信を受け入れられないわけではないが、収集癖著しい者としては、家のどこかにCDが置いてあるという安心感を求めてしまうのである。
レコードがCDに変わった時に、30センチ四方の紙ジャケットのアルバムカバーが、12センチ四方のカバーに変わってしまった時の残念な気持ちも相当大きかった。そうそう、レコードからCDに変わった時、あるミュージシャンがインタ ビューで「今まで、B面の1曲目として意識していた曲作りが、ただ単にCDの6曲目ぐらいの曲になってしまったという違和感は感じる」と言っていたのを思い出 す。←これ、けっこう大事なことのように思えて仕方ない。
新譜をレコードでリリースする頃に比べて、CDで新譜をリリースするようになってから、世の中にクズ曲の数が異常に増えたことは否めない。レコードの頃の収録時間は、A面B面と合わせて45分前後が主流だった(中には30分台なんてのも少なくなかった)が、CDになってからは60分を越えねばならないとい う暗黙の取り決めのようなものも存在し始めた。そうなると当然、収録曲数を増やさねばならなくなるのでクズ曲も必然に増えるという図式である。
さて、長い前フリの割には短い本題はここから。
iPhoneの中にあるTSUTAYAのアプリを見る頻度がかなり減っていた。それもそのはず、TSUTAYA店舗自体に全く足を運ばなくなってしまっていた。TSUTAYAアプリには、5軒の店舗をお気に入り登録できるのだが、その中の1店から閉店のお知らせが届いた。これで、登録5店舗の中で3軒目の閉店のお知らせである。そこで改めてTSUTAYAの会員証を見てビックリ!なんと2019年1月5日で有効期限が切れていた・・・。まもなく有効期限切れ2年になろうとしているではないか。あれだけ頻繁に足を運んでいたのに、もう自分の生活の中で必要のない店舗、必要のない業種となってしまっていたんだなぁ・・・シミジミ。
文明の進化ってのは、自分の根本ともいえる趣味の生き方さえにも影響を及ぼす ものなんだねぇ。
テレビについて思っていたこと
Facebookに東洋経済オンライン経由で興味深い記事が載ってきたので、ちょっと反応してみた。
テレビが面白くないのは、テレビマン(制作側)に思考能力がないから。
バラエティなどの特番なんか、いつの間にか2時間の枠の番組は短いほうになってしまった。収録時間を長くして、3時間が当たり前の仕上がりにしてしまうのが常套手段になってしまっている。恐らく制作予算の縮小で原因なのだと思うが・・・。
ディレクターに緊張感がないのかなぁ。たとえば、自分だったらDAIGOさん(北川景子さんの旦那)は絶対に使わない。番組進行の流れを見事に止めてしまう「3文字アルファベット」。あれを面白いと思っているのかね?(ディレクターや作家は)。昔なら、あんなのは流れを止めるからと即カットかけて二度とやらせなかったと思うなぁ。それを面白がって、タレントの持ちネタ?のように扱っている時点でもう、その番組の制作側はお終い。
そもそも、このDAIGOさんという人は、「自称Rocker」なだけでしょ?CMでも見かけるけど、スポンサーの大小によって、手袋ようなモノを簡単に外して撮影したりしている。あまり自分を持っていない人はRockerにはほど遠いような気がする。所詮、「丘Rocker」なのかな。
あと、グルメ探訪番組などで、出演タレントに直接、撮影交渉をさせる手法もどうなのかな?面白さよりも自分達(制作側)が楽したいだけなのでは?と思ってしまう。もちろん、収録前に店と事前交渉している可能性はおおいに考えられるが、それはそれで、制作方法(制作姿勢)としてどうなのかな?と思ってしまう。
シン・コロナ時代により、制作費の削減も大きいのだと思うが、報道ニュース番組にまで悪影響が出てきてしまっているのは嘆くしかない。外部の適切な人材確保できず、給料内で賄える自局のアナウンサーや記者を安易に起用するのが制作費の削減策と考えるよりも少数精鋭の出演者で、演出方法を工夫する方法をなぜ取らないのか?おおいに疑問である。ま、このレベルになるとディレクターだけの問題ではなくプロデューサーやもっと上の問題ではあるのだけどね。
SNSを情報収集のツールとして受け身で使うのではなく、もっと能動的に使えば少しは主客転倒して面白いと思うのだけれど・・・。
上岡龍太郎さんや久米宏さんあたりは、今のテレビの現状をどう思っているのだろう・・・。