東京ディズニーランドでお酒・・・CLUB33

不景気社会の中で俄然気を吐いている東京ディズニーランド(TDL)。
園内は飲酒はできない事になっているが、なんのなんの一ヶ所だけ飲酒OKの場所があるので紹介したい。その場所の名前は、『CLUB33』。ワールドバザール、さくら銀行出張所の右隣だ。ドアに「CLUB33」と書いてある。オフィシャル・ガイド・ブックにも掲載されていないし、いわゆる秘密の場所とされている。各アトラクションのスポンサー関係者などが利用しているらしい。
その秘密の場所を体験したことがあるので紹介したい。
利用したのは97年の9月のある日。妻の誕生日が8月の末で、義理母の誕生日が9月の初旬なので、合同の誕生会をしようと考えたのが、このCLUB33だった。以前からその存在は知っていたのだが、友人が利用した事があったので、その関係で利用できる事になった。
誕生会当日、3人で駐車場に向かう。友人からここで、係りの人にCLUB33利用と告げるようにと言われていたので、そう伝えると何と駐車料金が無料。しかも園内入口に一番近い駐車スペースまで誘導してくれた。
その後、正面に向かって一番左にあるゲスト・ゲートで受付を済ませ(予約時間や名前の確認など)園内へ。園内ではいつも来ているように普通にアトラクションを楽しむ。
予約時間の夕方5時30分にCLUB33のドアのところへ行く。ドア右手にあるインターホンを押して名前を告げる。しばらくするとロング・スカートの女性スタッフがドアを開けてくれて、中に招いてくれる。そのまま2階へと進む。妻も母も緊張気味。もちろん私も。
2階に上がると、エッ、こんなに広いスペースがあったの?と言うぐらい広いスペースが確保されている。レストラン・スペースに案内されると、テーブル担当の係がニギニギしく話し始める。「宮崎様、本日は、奥様とお母様のお誕生日という事を伺っております。バースデー・ディナーを用意させていただいておりますので、本日は、お楽しみください」などと言われ、3人はなおも緊張する。そしてワイン・リストが出される。ワインを注文してしばらくすると、出てきた、ワインが。本当にTDL内でアルコールが飲めるんだぁ!
ワインを飲みながら、バースデー・ディナーのフランス料理を食べていると、先ほどの係が再び登場。そして「お食事の途中ですが、別室にご案内させていただきたいのですが、少し、よろしいでしょうか。」などと言う。
別室に案内されると、広さは12畳ぐらいの部屋に、ソファーとミニ・テーブルが置かれている。その上には2人分のバースデー・ケーキがある。壁際には男女のスタッフが5名立っている。妻と母がソファーに座らせられる。
「本日は、○○さん、●●さんのお誕生日を記念して、ささやかながらスタッフ一同お祝いをさせていただきます。」といって、HappyBirthdayの歌を歌い始める。
そして「本日の記念すべき日に、もう一人、素敵なお友達が、お二人を、祝いにやって来てくれてます。拍手で迎えてください」と入口を見ると、ドアが開いて、ミッキー・マウス登場。
妻も母も大はしゃぎである。ミッキーは2人の後ろに来て、キスやら握手の大サービス。そしてケーキにロウソクが灯されて暗転。再びHappyBirthdayソングがあり、ミッキーとろうそくを吹き消す。電気がついて、拍手。その後、ミッキーとスキン・シップが続く。その間スタッフは、こちらが持参したビデオやカメラで写真を撮ってくれる。CLUB33側が用意してくれたポラロイドで撮った写真はCLUB33オリジナル・フレームに入れてプレゼントしてくれる。
ミッキーとの楽しい時間は15分ぐらい。「ミッキーはこの後も、たくさんのお友達と会わなくてはいけないので、このへんで失礼させてもらいます」の一声で、ミッキーは手を振りながら、泣くしぐさを見せたり、帰ったと思ったらまた、戻ってきて、握手したりの大サービスで退場。
我々も再び、ディナーの続きへとテーブルに戻る。
食事もひと通り終了すると、再び係が来て「あちらの席で、パレードと花火をお楽しみ下さい。」とシンデレラ城側の窓際に案内される。いつも、目の高さからしか見たことがなかったパレードを見下ろすのもまた違った感じがする。そして、ワインを飲みながらの花火は、また格別のものだった。
花火も終わり、バースデー・ディナーもいよいよ終了。バースデー・ケーキはテイクアウトにしてもらって持ち帰る。
妻、母にとってはとても良いバースデー・プレゼントになったようだ。料金は、1人あたり12,000円ぐらいというところか。
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隣家全焼 / ナンシー関・町山広美

消しゴム作家、コラムニストであるナンシー関、放送作家である町山広美。ナンシー関は、週刊誌等に辛口芸能人ウォッチャーとしての方が認知されているかもしれません。町山広美は放送作家でありながら働く女性の代表な扱いで大手新聞社のインタビューなども受けて活躍しています。
そんな2人が「クレア」という雑誌で、芸能、流行について気ままに語りあったものが一冊の本としてまとめられました。96年10月から98年6月の期間中のものなので、若干古い気がしないでもないですが、逆に当時を過去の事として知った上で読むとかなり面白いものがあります。
ナンシー関をダウンタウンの松本人志は「僕のお笑いはナンシー関ぐらいにしか分からない」とまで言ったことがあります。それはさておき、かなりの理詰めで芸能ウォッチャーをしているのは事実でしょう。。
町山広美はタモリ倶楽部、夜もヒッパレなんかの作家としても有名でですが、彼女のなんと言っても代表作は、80年代後半にテレビ朝日系列で日曜の朝に放送されていた「おめざめマンボ」でしょう。内容は、毎回アイドルが登場して、スタジオに作られた寝室のセットでのお遊びやトークが繰り広げられるのですが、この番組にはゲストが決まり言葉を言わされます。それは、おめざめマンボを短くして「おめマン」と声を大にして言わなくてはなりません。彼女にしてみれば、この雄たけびをテレビで言わせたいが為に、おめざめマンボという番組名を成立させ、タイトルに沿って朝の番組、というような内容がついてきた感じでしょう。本来の番組の成り立ち方と全く反対のプロセスで成立した番組でした。彼女の放送コードに対する挑戦であったと思っています。
そんな強力な2人が一刀両断のごとく、当時の流行や芸能人について語りあっているのだから面白くないはずがありません。
目次を紹介します。
第一章
・バーチャル渋谷センター街各地に展開
・本業が不振でこんなショーバイがまかりとおる
・1年の締めくくりはヒットチャートを徹底分析してやろう
・年の瀬恒例激動の1年をふりかえる
・女性誌はお客さん人生のバイブル
・裏ワイドショー的カップル効果研究
・ヤンキー市場は最大のマーケット
・ママ、アイ・ラブ・ユー!?母?は日本のアンタッチャブル
第二章
・世の中って結局、おやじのものなんだ
・?はやい?もの好きに日本人みんな急いでどこへ行く?
・草?剛を象徴とする「いい人」ブームを断罪!
・「だって見たいんだもん」症候群の危険な行く末
・心の底から「かわいい」の?吉川ひなのやキティちゃん
・「無駄づかいはいかん」ことをダイアナ元妃は教えてくれた。
・「しくじる」ことは成功への第一歩!?
第三章
・「経済効果」や「社会現象」に踊らされるのは「でも」の論理
・「男泣き」「ポルトガル」「パパ」「スクール」のブーム到来!
・まだ「イケてる」人たちこそ、ハイリスク・ノーリターン!
・スポーツを礼讃する日本では運動嫌いは肩身が狭い
・せっかく春がきたというのに気持ち悪い話のオンパレード
・日本の勤勉さは健在だから景気回復のための宿題待望論
とこんな感じです。
テレビ局お抱えの芸能レポーターに高望みをしてみてもしかたありませんが、もし、この2人の視点でワイドショーが制作されたら、それはもう画期的な番組になることは間違いありません。でも絶対に無理ですが。
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DAVID BOWIE / 1973.4.20 / 渋谷公会堂

前年1972年12月に当時のグラム・ロックのもう一人の代表であるT-REXが来日した事もあって、ボウイの来日はまさに待望という言葉ピッタリだった。
飛行機嫌い、というふれこみだったボウイの来日は、船に乗っての横浜港に上陸という形で実現した。のちのボウイを見ると決して飛行機に乗らなかったわけではないので、この来日手段はプロモーション用ということなのであろう。ちなみに帰国に関しても船を利用。ウラジオストックまで行き、そこからシベリア鉄道でヨーロッパに帰ったという念のいりようだった。ただし、本当にヨーロッパに行ったかは定かではないが、次の公演が5月12日のロンドンだったので、案外本当かもしれない。
ボウイの来日は音楽シーンだけでなく、当時の日本の流行シーン全てを巻き込むものだった。ファッション業界やアート、デザイン、全てがボウイ一色だった。
ボウイも積極的に日本の文化に触れていたようで、私自身も渋谷パルコや赤坂のディスコ、ビブロスでオフのボウイに遭遇している。
ボウイの初来日は、初期の名作、『ジギー・スターダスト』と『アラジン・セイン』を引っさげてのものだった。
コンサートはなんと新宿厚生年金、渋谷公会堂など2300人キャパの会場で行なわれた。私自身は新宿と渋谷の両方に行ったのだが、渋谷のほうが席が良かったので、こちらの方が印象に残っている。
オープニングは館内にテープで『歓喜の歌』が流れて始まる。ボウイは歌舞伎よろしくセリ上がりで出てくる。コスチュームは、山本寛斎がデザインしたというもので漢字で「出火吐暴威」と書いてある。どうみても暴走族のノリである。私はこの衣装を見て以降、山本寛斎のデザインについては全く評価できなくなってしまった。衣装はいただけないが、ステージは圧倒的に良かった。
1曲目『ハング・オン・トゥ・ユアセルフ』のイントロと同時にこれまた歌舞伎のように両サイドから黒子が出てきて、衣装を切り裂く。そこには、また違うボウイがいた。
バンドもレコーディング・メンバーをそのまま帯同した。ベースにトレバー・ボールダー、ドラムにマイケル・ウッドマンシー、キーボードに前衛的なタッチが魅力的だったマイク・ガーソン、そしてギターはあの、ミック・ロンソンという顔ぶれ。特に、ミック・ロンソンとボウイの絡みは期待していなかっただけに、その存在感(ミック・ロンソンの)をおおいにアピールするものだった。
演奏は、シンプルなロック・サウンドながらマイク・ガーソンの前衛的な演奏とミック・ロンソンのギブソン系ギター特有のディストーションを効かせたギター・ワークがボウイを宇宙的にし、観客もボウイの世界に入り込まされてしまう完璧なものだった。
T-REXがブギだけのギミックに見えてしまったし、グラム・ロックの両雄と言われていたが、この表現が適切でない事は、この日のステージで明らかになったようだ。
アンコールの『ロックンロールの自殺者』でボウイは後のリンゼイ・ケンプとの出会いを予感させるようなパントマイムを披露する。ステージ最前列につま立つボウイは遠いかなたを見つめ、笑みを浮かべたと思うと、両手を大きく広げて、翼を動かすがごとく、空に舞い上がるというパントマイムなのだが、私をはじめ、ほぼ全員の観客は、一瞬ボウイが本当に宙に浮いたような気がしたほどのパフォーマンスだった。
この来日の後、ボウイは78年に再来日にする。ブライアン・イーノに影響を受けていた頃でギターにエイドリアン・ブリュー、キーボードにユートピアのロジャー・パウエルを従えてのものだ。83年には、「レッツ・ダンス」「戦場のメリークリスマス」で大ブレイクしたシリアス・ムーンライト・ツアーで来日。87年には日本公演は実現しなかったがグラス・スパーダー・ツアー、そして90年代になって各国でリクエストにより曲目を決めるというワールド・ツアーで来日する。
それら全てを見た私は、そのどれもが印象的であったが、初来日となったこのジギー・スタダスト・ツアーは一番印象に残っている。
ただ一つ、TIN MACHINEというプロジェクトは何なのであったのか、それだけは疑問である。
ちなみに、ボウイはDAVID BOWIE債権の発行やプロバイダー事業もやっている。このプロバイダーに加入すると、メールアドレスは、○○@bowie.netとなる。
■演奏曲目■
-ハング・オン・トゥ・ユアセルフ
-ジギー・スターダスト
-チェンジス
-月世界の白昼夢
-パニック・イン・デトロイト
-アラジン・セイン
-円軌道の幅
-スペース・オディティ
-ジーン・ジニー
-タイム
-5年間
-夜をぶっとばせ
-スターマン
-サフラゲット・シティ
アンコール:
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