ザ・ビーチ / ネタばれ度:★★★

この映画の公開については当初あまり関心がありませんでした。ところが映画評論家のおすぎさんと襟川クロさんがこの映画については全く評価していないようなので興味を持ちました。というのはお二人は「シュリ」を絶賛していたのですが、「シュリ」は、?だった私にとってはその二人が酷評する映画はどんな感じなのだろうという興味を持ってしまいました。
ディカプリオが「タイタニック」に続いて選んだこの映画は、幻の楽園(パラダイス)を探し求めたディカプリオら3人が楽園でのコミュニティーに参加したものの、楽しかったのは最初の時だけで、規律、労働、内紛というように現実社会と何ら代わらない事に気がつく。という内容の映画です。
監督は「トレインスポッティング」のダニー・ボイル。この映画を見て思ったことは、いつの時代にも馬鹿な若者はいるのだということ。タイに存在するといわれている「幻のビーチ」には先住者として20人近くの若者が島の現住者たちと共存して住んでいます。島には大麻が栽培されていてアウトローな若者にとってはまさに楽園なわけです。しかし見ようによってはバンコクのカオサンあたりのフーテン(古い!)バックパッカーが場所を島に移しただけのようにしか思えません。
これが60年代の映画であれば、ヒッピーが社会に不満をもって、自分たちの村を作ってそこに住みだす。というようなことになるのでしょうか。ウッドストックに集結する若者もこのビーチに集結する若者もそんなには違いがないのでしょう。
新しい思想を持つということを、秩序を壊すことや現実から逃げ出すことと履き違えている若者はいつの時代にもいるということを分からせてくれる映画でもあります。
また、どんなに自由を唱えたコミュニティーでもそこにリーダーが存在した瞬間からそのコミュニティーには宗教的背景ができてくるということもこの映画を見てわかるような気がします。
撮影はタイのピピ島を加工して行なわれたということで、「幻のビーチ」がどのぐらい美しい所だろうと期待大なのですが、残念ながら「幻のビーチ」はそれほど美しくもないし、そこでコミュニティーを営む住人の社会ルールも別に魅力的なものでもありません。
従って、あの島で住みつづける若者は社会からの逃避者としか映りません。「幻のビーチ」の景観や生活を魅力的に描けなかったところがこの映画の最大の欠点だと言えるでしょう。魅力的でないからディカプリオの苦悩も困惑も全て説得力がありません。
もし、ディカプリオが出ていなければ、この映画は「隠れ面白映画」として評価されるのかもしれません。しかし、彼の出演により、必要以上に注目されてしまうことがこの映画の評価を大きく変えてしまうのではないでしょうか。
ディカプリオ大好きの人にとっては、ちょっと物足りないし、アジア大好きでタイの風景を楽しみたい人にとっても物足りない映画になってしまいました。
音楽は、「ツイン・ピークス」のアンジェロ・バダラメンティですが、これも彼らしい部分はクレジットを見るまで気が付かない程度の音楽でしかありません。
かと言って、全く面白くなかったのかと言うと、不思議なことにそうでもありません。そこそこ面白かったのですが、不満も残る。という感じです。「幻のビーチ」に毒されてしまったのかもしれません。
ネタばれなんですが、最後にリーダーのサル(人名)が実弾を一発だけこめてディカプリオに発砲しますが、あれは「ディア・ハンター」のようにロシアン・ルーレットの意味だったのでしょうか?それとも島民のリーダーのトリックだったのでしょうか?
119分。監督:ダニー・ボイル。
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DESIRE / BOB DYLAN

若い頃、もっぱら聴いていた音楽はいわゆるハード・ロックを主体にしたものだったのでボブ・ディランの偉大さをいくら唱えられても全くピンと来ませんでした。「あ〜フォーク・ソングの人ね」という感じしかありませんでした。ボブ・ディランが好きだという人を見ても、歌詞も和訳を見て何を喜んでいるんだか、とこれまた、軽蔑ににも似た印象しか持てませんでしたし、その人に対する見方さえ変わってしまうほどでした。
そんな私が唯一評価し、お薦めできるのがこの「DESIRE(欲望)」というアルバムです。
75年に発表されたこのアルバムは、後に登場するアメリカン・ヒーロー、ブルース・スプリングスティーンの力強さとナイーブさを持ち合わせた力作といえます。
アルバムには9曲収録されていますが、1曲目の「ハリケーン」を聴くだけでも価値があります。この歌はミドル級のプロボクサー、ルービン・ハリケーン・カーターの殺人事件による冤罪事件のことを歌ったもので、ボブ・ディランのメッセージ色(怒り)のかなり強い歌詞と力強い歌い方とスカーレット・リヴェラのバイオリンの音色、エミルー・ハリスのバック・コーラスが緊張感を高めています。この緊張感は必聴です。
更に、「コーヒーをもう一杯」、実在したマフィアのジョーイー・ガロのことを歌った「ジョーイー」、妻のサラに愛をささげた「サラ」(結局この独白的な歌詞も実らず1年半後に離婚するのだが)などどの曲も私のようなディラン嫌いにも十分聴くことのできるものだし、それ以上に、もしかしてディランって良いのでは?とさえ思わせられてしまうほどの秀作です。
結局、私の場合、ディランについてはこのアルバムしか評価できなかったのですが、古いレコードを処分しようと思う時に、なぜか処分できない1枚になっています。
ボブ・ディラン嫌いの私がお薦めする貴重な一枚です。
秋口の真っ青な空か夕暮れ時にマッチするアルバムだと思います。とにかく1曲目の「ハリケーン」はぜひとも聴いてみてください。
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野沢尚さんの同名小説(第43回江戸川乱歩賞受賞)を読んだ時、これはテレビ化されないな、と思いました。テレビ業界で問題になっている「ヤラセ」ということが報道の現場でも行なわれているとしたら、視聴者は何を信じて情報を得ればよいのか分からなくなってしまいます。テレビ番組に演出家がいる以上、ある意味では「ヤラセ」は容認しなくてはならないでしょう。誰も「演出」と「ヤラセ」の線引きはできないわけですから。
で、この映画はニュース報道制作を舞台にしたものです。ニュースキャスターがスタジオでニュース原稿を読んだ後に、それらを補足するために取材VTRを流しますね。その取材VTRを編集している女性編集員が黒木瞳演じる主人公です。主人公、遠藤瑶子は一編集員でありながらディレクターよりも信頼を得ているスーパーウーマンです。瑶子は自分の編集に手を入れられないように、編集の仕上げを直前まで遅らせることもしばしばあります。更には、視聴者に最大限の興味を与えるために素材テープを逆回転させて編集したりもします。ここらへんが「演出」と「ヤラセ」の線引きが難しいポイントかもしれません。
ある時、瑶子は郵政省の人物と名乗る人間から電話をもらい、汚職スクープのビデオの存在を打ち明けられます。その話に興味を持った瑶子はそのテープを元に大スクープを狙います。そして、そこに映されている男、麻生公彦(陣内孝則)の家庭をも壊してしまいます。そして物語は、男の猛烈な抗議を受ける瑶子と男の対決、そして意外な結末へと進んでいきます。
映画の中で、男がテレビ局に乗り込んできて報道局長に編集前の素材テープの開示を求めます。局員の反対をよそに結局テープを見せるのですが、これなんかは明らかにTBSのオウム坂本弁護士事件を意識してのものと言えるでしょう。本来はニュース元を明らかにするようなことはありません。
その他にも実際のテレビ制作の方法とは明らかに違うところは幾つもあります。その代表的なところはオン・エアー素材を映画のようにプロデューサーなりディレクターが事前にチェックしないで放送することはまずありません。ですから、この映画はあくまでもフィクションとして考えなくてはなりません。ただ、実際に映画のようなことになる可能性を秘めているのがテレビ界だということです。
この映画はテレビ局の内部告発というよりも、我々視聴者に対して、「テレビの映像を鵜呑みに信じてはダメ」ということを警鐘していると言えるでしょう。とは言いつつも、内部告発と受けとれる部分もあるので、案の定、この原作はテレビ化されませんでした。本来であれば、野沢さんはドラマ脚本家として「恋人よ」「眠れる森」「氷の世界」などのヒット・ドラマを書いているのでテレビ化されてしかりなはずです。それでもテレビ化されませんでした。テレビ局の逃げ腰が見えます。ということはこの映画がテレビでお茶の間に流れることもまずないのでしょう。そう言えば、テレビ・スポットって、やっていたんだろうか?
ちなみに「マリス」とは「malice」で悪意、敵意、犯意の意味。
2000年作品、108分。監督:井坂聡。
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