
韓国映画は、暗い、重いというイメージがあったのですが、この映画は今まで観た韓国映画とはちょっと違っていました。
小津映画が好きな人が韓国にもいるんだなと、すぐ分かる映画です。カメラの目線の高さも固定の仕方も全体に流れる映画のスピードも、空気も小津映画の影響を大きく受けているようです。
死を予期しながら日常生活(写真館)を営む主人公のハン・ソッキュと言う人は、韓国の映画界でどの程度の位置にいる人か分かりませんが、逆に分からない分、変な先入観がなく観られました。いい役者さんだと思います。笑い方なんか井上陽水的なところもあって、とても印象的です。
その主人公が穏やかに死期を迎えようとしているのですが、死に直面した心の矛盾にぶつかり、一人で布団の中で嗚咽するシーンや機械音痴の父親にビデオの使い方を教えようとして短気になってしまうシーン、そして思い直してその使い方を紙に書き留めるシーンなど細やかな心の動きが表現されています。
そして一番印象に残るのは、写真館に家族の集合写真を撮りにきたある家族が、最後におばあちゃんだけの写真を撮ってもらいます。その写真を撮らせる家族の気持ち、撮られるおばあちゃんの気持ち、そして写真を撮る主人公の気持ち、この三者の複雑な思いが微妙に尚かつサラッと描かれている場面です。
そのおばあちゃんは後に、一人で撮り直しをして欲しいと写真館を訪ねるのですが、もっとちゃんと撮って欲しいと自分のお気に入りのチマチョゴリを着てきてます。この写真を自分の霊前に飾りたいとの思いからでした。値段は安くしてと頼むおばあちゃんに主人公は無料で、しかも1枚多く撮ってあげます。ちょっとはにかむように笑ったおばあちゃんの写真、これがこの映画のラストシーンにつながっていきます。
主人公が思いを寄せ、また主人公を慕う女性シム・ウナという女優、彼女のことも全く知らないのですが、彼女は主人公が入院したことを知らず、気持ちの整理の仕方に迷っているシーンがいくつかあります。
その中で、来る日も来る日も会えずじまいの日が続き、ついに自分の気持ちの限界を表す意味だと思うんですが、写真館のガラスに石を投げて割ってしまうシーンがあります。日本の女の子だと、そこまではしないだろうなぁ、などと思ってしまいます。よく韓国民は直情的などという話を耳にしますが、そういう面を言うのでしょうか。
聞いた話なんですが、日本人の男子留学生が韓国の女の子と付き合っていて、無事、留学も終わり日本に戻るという時に、当然別れ話になったそうです。彼は話し合い、韓国の女の子に理解してもらったと思っていました。帰国の日、金浦空港に見送りに来てくれた彼女は、ちょっとの隙を見て、彼のパスポートを破ってしまったそうです。そんな話を思い出してしまったシーンでした。
ところで「八月のクリスマス」、このタイトルにはどう意味があるのでしょうか。主人公が8月生まれだったし、最後のシーンで彼女が写真館に訪ねてくるのは、クリスマスの日でしたが・・・ちょっと分かりません。
あと、最初の方で、主人公が薬を飲むシーンでコップがアップになったんですが、これもちょっと分からなかったです。
監督のホ・ジノはこの他にも「接続」という映画を撮っています。
この監督の名前は覚えておいてもいいかもしれません。96分。
- 関連記事
-