2001年私的重大ニュース
■引越しをした
千葉県八千代市から千葉県千葉市美浜区に7月12日に引越しをした。以前の八千代市は千葉県でも内陸側で都心と成田空港に行く時のちょうど中間地点あたりだった。従って海外旅行に行く時は大変便利なところだった。
新しい所は幕張新都心といって幕張メッセや千葉マリンスタジアムがすぐそばにあるところで海まで5分もかからないところだ。
海が見えるということはなかなか精神的に良いものでウォーキングも楽しくできたりする。海に近いところの建物というのは塩害対策がしてあるとのことだが、こればっかりは住んでみないと分からないから今のところ何とも言えない。
今回の引越しの最大のテーマは物を捨てることだった。特に本やビデオ、洋服などをかなり大胆に処分した。おかげで今度の住まいの納戸は今のところ比較的ゆったりとしている。ただ、何でも溜め込む癖があるので注意せねばならない。
■ニューヨーク同時多発テロ
日本時間の9月11日の夜10時、ニュース・ステーションを見ていたら渡辺真理が毎度おなじみの大げさなで表情で世界貿易センタービルに小型飛行機が衝突した。と第一報を報じた。すぐさま普段あまり見たこともないスカパーのCNNチャンネルに切り替えた。
同時通訳の話しぶりだとどうも小型飛行機ではなく旅客機らしい。これは大変だと思っていたら仕事で帰りが遅くなっているカミさんから電話が入って駅まで迎えに行くことになってしまった。車の中で状況を話すと早く帰ってテレビ見たいと言う。すぐさま帰ってテレビをつけると何と先ほどの絵とは様子が違っていて噴煙が増えているではないか。この時点でテロ行為であるらしいと報じられていたので我が家でもそれなりのパニックになってしまった。その後については毎日のニュースで見てのとおりだ。ただ犯行の主犯容疑者といわれているオサマ・ビンラディンをオサマ・ビンラディン「し」と言っていたので我が家ではオサマ・ビンラディン「師」なのかと思っていたら、何と「氏」だったので何だかなぁ、と驚いてしまった。
結局、WTCビルは倒壊してしまったが、古い映画でニューヨークの全景シーンなどで2棟ともさん然とそびえ立っているのを見るにつけ、事の大きさを実感してしまう。
ニューヨーカー達のインタビューもかなり報じられていたが、最初の頃のインタビューで「なぜ、我々がここまで世界から嫌われているのか考える必要もある」と言っていたのが印象的だった。
■4回目の年男
今年は巳年だったが何と生まれて4回目の年男だった。4回目というとちょっと考えてしまう。1回前の3回目の時が36才。この時も「あ〜ぁ、歳とったなぁ」と思ったことを昨日のことのように覚えている。そして次の5回目は60才。てことは還暦だ。そして6回目はというと・・・だめだ、やめておこう。年男の回数で考えると人間の人生などはかないものだということを痛感してしまう。
オリンピックをあと何回体験するのだろう。ワールドカップは?映画はあと何本見るのだろう?本はあと何冊読むのだろう?旅行はどこに行くのだろう?なんて考え始めるときりがない。
幸い良き伴侶に恵まれたので楽しさ重視の人生を過ごしたいと思うのであった。
■韓国女優、イ・ヨンエに会い損なう
韓国映画「JSA」に出演した女優イ・ヨンエがプロモーションで来日した。
ニュース・ステーションにも出演して司会の久米宏がグニャグニャになってしまったほどの美人だ。記者会見後に控え室でちょこっと会える段取りをふんで意気揚々としていたのだが、日程の変更により他の用事と重なってしまいNGになってしまった。
ネットで知り合った女の子が韓国から里帰りしていて、ちょうど記者会見の日に会う約束をしていたのだった。しかもカミさんが毎度のことながらお化粧品の買い物を頼んだりもしていたので、他の日に変更してくれと言い出せなかったのだった。言えば何の問題もなく変更してくれたであろうが、変なところが昔かたぎというか、最初に決めたことが最優先という自分なりのルールがあったりするから困ったものなのである。
イ・ヨンエは「JSA」でブレイクする前からお気に入りだっただけに少しばかり残念だった。正直言うと相当残念であった。
■母親の胃癌手術
会津若松に住む母が9月に胃癌の手術をした。初期発見ということで胃の3分の2を摘出した。術後は良好で今では意識の中では食欲もあるという。もちろん、体のほうは目が欲するほど食べものを受け付けないようだが。
少し前までなら癌というと致命的な病気の感があまりにも強かったが、最近では初期発見であれば必ずしもそうでもないようだ。手術時間も短いし、執刀医師も手慣れた感じがした。
今回の手術で初めて人間の内臓というものを見た。切除された胃は思っていた以上に大きかった。そして驚いたのが癌細胞の小ささだった。ほんのわずかな湿疹のようなものが人間の体を蝕むことを考えるとやはり病気は恐いと思った。
カミさんも同様で来年からは結婚記念日に人間ドックに泊まりこむかなどと話あった。
母親の具合はその後良いみたいだが、人間の体の弱さと病気の恐さを感じた経験であった。
■韓国語教室にまた通う
一時期、韓国語を習いに新聞系のカルチャーセンターに通っていたが、生徒数が減りすぎて一時閉鎖になったのは去年のことだった。その後、再開の案内ももらったのだが、韓国語を習う目的意識もあまりなくなってしまい、通わなくなってしまった。
通わなくなってからもNHKのテレビとラジオは欠かさず見聞きしていたが、さほど覚えてもいない知識の忘れる速度は速いものであっと言う間に当初の目標だった挨拶程度に戻ってしまった。このまま忘れていくのだろうな、と思っていたら引越した所のすぐ隣の駅にカルチャーセンターがあり、そこに韓国語教室があった。
一度見学に行ったら人数も4名ぐらいだったので9月からまた通うことにした。カルチャーセンターなので勉強勉強していないので本気で学ぼうとするにはどうかと思うが、授業料は3ヶ月で18,000円。この金額で忘れ防止になるなら良かろうと思っている。
この手の学習は先生との相性が最大のポイントだと思うのだが、日本に住んで7年になるという韓国人の女性教師は教える意欲が高い人なのでもう少し続けてみようと思っている。しかし、韓国語を使うステージがまったくなさそうなので覚えてどうするのか、という最大の問題は抱えているのであった。
■ノートパソコンが来た
WindowsもXPが発売されたが、夏前の我が家のPC環境は化石状態だった。OSはWindows95のまま、ハードディスクは増設しても8GB、メモリーも96MBの環境だった。おまけに通信環境はISDNのまま。しかしながらマシーンの調子は驚くほど良くて新機種購入後もいまだに我が家のメイン機種に君臨している。
その新機種がやってきたのは引越しをしてすぐだった。史上最悪のOSと評判のWindowsME搭載のSONYのvaioだ。XP発売間近ということもあって驚くほど安く手に入れることができた。最終的にはXPにバージョンアップするので今のところお遊びでしか使っていないが、スペックを見ると前機種とあまりに違うので驚いてしまう。
それにしてもWindows95のPC界での扱いはひどいものだ。最近のアプリケーション・ソフトなんかWindows95では使うことができない。マイクロソフト社でもオフィシャルなサポートは今年の3月で終了したといっているほどだ。
こういう状態だと我が家のメイン機種の世代交代もそう遠くはないのかもしれない。メイン機種はデスクトップと決め込んでいるのでニューフェイスの登場も時間の問題か。
■IT講習の講師
森前首相が推進していたIT革命の一環が退陣後の今年度に反映している。各市町村では今年4月から地域住民を対象にしてIT講習なるものを実施している。方法は各市町村ごとに違うみたいだが、だいたいが12時間単位の講習で1日3時間で4日間というスタイルが多いようだ。引越し前に住んでいた市でも受講者と同時に講師と補助講師を募集していたので厚かましく講師として応募したところやらせてもらうことになった。
ボランティアなのかと思っていたら1講習あたり42,000円の謝礼が出ることになり、これはしっかりやらなくては申し訳ないとPCの基本を自分なりに復習したりとけっこう大きなイベントになってしまった。
初めて講習に参加してみて驚いたのは、20人1クラスなのだが圧倒的にお年寄りが多いことだった。しかも、そのほとんどが一度もパソコンに触ったことがない人ばかりだ。
IT革命、インターネット、メール、これらの言葉がいかに世の中に浸透しているか改めて認識してしまった。皆さん一生懸命なので教える身としては襟を正してしまうほど責任感じてしまう。
それに比べて主催する市のほうは呑気というかやっぱりお役所というか、熱意をまったく感じることができない。国から予算をあてがわれたので使い切るしかないという姿勢が見え見えだ。まるで年度末の予算合わせの意味のない道路工事のようだ。
受講を終えた人たちのほとんどが、この続きはいつやるのかと思っているようだ。実際、私に質問してくる人も何人もいたほどだ。市の方針としては、一人でも多くの人にパソコンのイロハ(日本語入力、インターネット、メールの送受信)を教えるということにあるようで次なる展開などまったく考えていない。だから興味という木に登らせておいて梯子を取り払ってしまう、という感じがしてしまう。もちろん、来年14年度以降は国から予算も出ないであろうから市としても財政的に続きをやることはできないだろうし、するつもりもないだろう。
講師をさせてもらって思ったことは、私ごとき若輩者を先生と言って一生懸命聞いてくれるお年寄りたちのバイタリティのすごさだった。いくつになっても興味という好奇心を失わない素敵な姿には見習うことがたくさんあった。来年、2月まで続くようなので期間中は一生懸命指導させていただこうと思っている。
■海外旅行見送る
我が家では1年に1回は海外旅行をする計画が暗黙の了解で存在している。一番最近行ったのは2000年12月のバンコク・プーケットだったから1年が経過してしまった。毎年秋ごろからカミさんが旅行雑誌やらパンフレットを家に持ち帰ってくるようになるといよいよ今年も来たかという感じになるのだが、今年は9月のテロ事件の影響でカミさん自ら「今年はやめよう」という申し出があった。テロ事件の影響がこんなところにも出ているという感じだ。
世間的にも日本人の海外旅行は激減しているようだ。その反面、国内旅行は大人気でどこの観光地も満員御礼らしい(沖縄を除いて)。
相次ぐ海外旅行のキャンセルで倒産した旅行代理店も数多くあると報道もされていた。スカパーでハワイから放送していてる番組があるが、この放送を見てもワイキキのビーチは閑古鳥状態なのが分かるほどだ。
クリスマスに再度、大規模なテロ行為があるとも噂されているが、果たしてこの状況はいつまで続くのだろうか。我が家もこの状況をどのように受け止めていくのかおおいに気になるところである。
21世紀最初の年はニューヨーク・テロ事件というとてつもない事件が代表的な出来事になってしまった。
先日、テレビでイカとタコの生体について放送しているのを見たがその中で出てくる時代背景は2000万年前とかだった。1000年を1センチとして考えてモノサシを作ったとすると2000年はたった2センチだ。我々が生きている時代はその2センチの中のほんの少しということになる。そんなちっぽけな時代の渦の中で皆んなもがきながら一生懸命生きているわけだ。せっかくこの時代に生をもらったのだから私も精一杯もがいて生きてやるぞぉ、と思う年末なのだった。
■番外:福、来たる
今年のまとめなどと言っていたら、クリスマス前に我が家に山口県生まれの牝の柴犬がやってきた。早速、名前を考えた結果「福(ふく)」と命名。福の参加により我が家の来年の動きも大きく変化していくことだろう。名前のとおり「福、来たる」となることを願っている。
DAVID BOWIE / 1978.12.12 / NHKホール
1973年はグラム・ロックの雄として、1983年のシリアス・ムーンライト・ツアーは最上級のエンターテナーとして、1990年のサウンド・アンド・ビジョン・ツアーはボウイの集大成のコンサート、TIN MACHINEに関してはいまだによく分からないコンサートだった。そして1978年のコンサートはSTATION TO STATIONやLAWを中心にした構成でボウイの一番アバンギャルドでワイルドかつ繊細なコンサートとしていまだにファンには語られているものだった。
この他に80年代後期にグラス・スパイダー・ツアーというコンサートがあったが、この時はステージセットの骨組みとなった蜘蛛をデザインしたセットが日本の会場では設置できない(ドームでも無理だった)ということで来日公演は実現しなかった。
78年のコンサートは日本武道館とNHKホールで行われたが当時は武道館は会場が大きすぎるということと音響が最悪ということで音楽ファンには今イチ評判の悪い会場だった。今ではビッグ・ネーム・アーティストのコンサートはほとんどが東京ドームだから武道館でやるとなると小さいホールで見られるということになるから時の流れとは恐ろしいものだ。
で、78年のボウイのコンサートはNHKホールで見ることができた。NHKが時々放送していたヤング・ミュージック・ショー(恥かしい番組名だなぁ)の収録があったからNHKホールのコンサートが実現したのだと思う。
オープニングはギターのカルロス・アルマーが指揮棒を持って指揮者のごとくサウンドを操る『ワルシャワの幻想』。ボウイも演奏者の一員となってキーボードを弾いていた。ステージ右手のキーボードを弾いていたのはトッド・ラングレンのユートピアのメンバー、ロジャー・パウエル。そしてこの時はまだ無名だったギタリストのエイドリアン・ブリュー。エイドリアン・ブリューはこの曲では出番がないらしくギターを持ってただニヤニヤしているだけだった。しかもスーツのズボン風のワイドパンツの中にアロハシャツをズボンに入れこんでいるという妙ないでたちが印象的だった。
ほとんどインストゥルメンタルだった「ワルシャワの幻想」の後は、妙にリズムがうねっている『ヒーローズ』が始まる。この1曲のサウンドでこの日のコンサートのできがものすごく良さそうだと予感させるにじゅうぶんなサウンドだった。
案の定、その後の曲は濃厚なサウンドで前半部のピークは『フェイム』でむかえた。エイドリアン・ブリューのプログレ的なギター・ワークとロジャー・パウエルのこれまた個性的すぎるキーボードの絡み合いは絶妙を通り越して鳥肌ものだった。
そして次の『美女と野獣』が終わったところで第1部が終了。当時、1部と2部に分かれているコンサートなどなかったのでこの構成にも観客は驚いた。
興奮醒めやまぬまま第2部と移る。暗闇から聴こえてくる単調などラムの音・・・大ブレイク・アルバム「ジギー・スターダスト」からの『5年間』だ。この曲から『サフラゲット・シティ』まで一気にボウイのロック・スターとしての本領発揮のシーンが続いた。ロックン・ロールぽい曲が多いがロジャー・パウエルとエイドリアン・ブリューがいる限りありきたりのロックン・ロールなどになろうはずもない。会場は音の渦でまさにプログレ・ロックン・ロールといった感じだった。
そしてコンサートはこの日の極みともいえる『ステーション・トゥ・ステーション』へと進み最高潮をむかえる。
アンコールの『TVC15』『ステイ』『愛しき反抗』でもサウンドのうねりは続き、コンサート終了後も心地よい疲労感に見舞われたのは私だけではなかったと思う。
ステージ後ろに無数に配列された蛍光管のモノトーンを基調にした照明がショーをサポートしていたのも印象的だった。
幸いこの時、NHKで放送されたヤング・ミュージック・ショーのビデオが家にあったので見てみたが、今見ても全く色あせることなくボウイの充実期のライブとして立派に再現されていた。私の宝物のひとつとして永久保存版になるであろう。
ちなみにこの時期の貴重なライブ音源はアルバム「STAGE」としてリリースされている。
■バックアップ・メンバーズ■
エイドリアン・ブリュー(g)
カルロス・アルマー(g)
サイモン・ハウス(vn)
ジョージ・マレイ(b)
チェスター・トンプソン(dr)
シン・メイズ(key)
ロジャー・パウエル(key)
■演奏曲目■
第1部:
-ワルシャワの幻想
-ヒーローズ
-ホワット・イン・ザ・ワールド
-ビー・マイ・ワイフ
-ジーン・ジニー
-ブラックアウト
-疑惑
-壊れた鏡
-フェイム
-美女と野獣
第2部:
-5年間
-ソウル・ラブ
-スター
-君の意思のままに
-ジギー・スターダスト
-サフラゲット・シティ
-アートの時代
-アラバマの月
-ステイション・トゥ・ステイション
アンコール:
-TVC15
-ステイ
-愛しき反抗
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ELTON JOHN / 1974.2.2 / 日本武道館 2001/11/17
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EMERSON LAKE & PALMER / 1972.7.22 / 後楽園球場 2000/11/15
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東京物語 / 奥田英朗

携帯のない時代の青春
久雄が行きたいのは東京の大学だった。
学部など問題ではなく、東京なら坊さんの大学でもよかった。
とにかくこの退屈な町を出たかった。
エリック・クラプトンもトム・ウェイツも素通りしてしまうこの町を。
この本の表紙帯にはこう書いてある。けっして面白い本ではない。しかし、どこか惹かれるものがある。それはたぶんノスタルジーということだと思う。作者の奥田さんは1959年生まれ。50年代生まれという括りで言えば同年代と言えなくもない。しかも私めと同じロック好きの少年、青年期だったらしい。
話は、6編のエピソードでまとめられている。それぞれが時間軸によって分かれ、その時代に起こった出来事をモチーフにしながら時代を再現している。そして主人公の田村久雄の心の成長も東京の移り変わりと同時に変化していく。
田村久雄は弱小広告代理店に勤務している。1980年12月9日の話から物語は始まる。雑用に追われる1980年の師走の1日の出来事を読むことによって村田久雄の性格や背景などを知ることができるエピローグ的なスタートだ。この日、ニューヨークでジョン・レノンが射殺されるという衝撃的な出来事が起きたことをこの章を読むことによって思い出すことができる。
物語の中では、田村久雄がこのニュースを東京のどこかで知るわけだが、私自身もこのニュースを同じ東京で聞いたことをすぐに思い出すことができた。東京のどこで、どんな服を着ていたかも明確に思い出すことができたので驚いた。田村久雄(作者の奥田さん?)の琴線に触れる出来事がいちいち自分自身と一致するから面白く読めたのかもしれない。見るものの感覚、仕事上での驕り思い上がり、対人関係、恐ろしいほど一致する部分が多かった。
最初のエピソードから次は、1978年4月4日に少し戻ることになる。この日、田村久雄は名古屋から上京したのだった。この日のエピソードは後楽園球場で行われたキャンディーズの解散コンサートだ。この出来事を主軸に母に付き添われて上京した主人公の東京1日目が描かれている。
この章で初めて主人公が最初は勉学のために上京したことを知ることになる。しかも予備校通いを目的にした浪人生として。
物語は一浪後、大学に入学した一年生としてのエピソード。仕事が認められてきて東京生活も慣れてきた頃。結婚ということを意識せざるえない年齢になってきた頃。そしてまさにバブルが弾ける寸前のある1日と展開していく。
自分自身を投影することができたからアッという間に読破することができた。あくまでも自分の年齢的な背景がフィットしたから面白かっただけなのかもしれない。
だからこれは正直、声を大にして人に薦められる本ではないのかもしれない。時間が余っている人。50年代後半から60年代前半生まれの人は読んでみて面白いと思うかもしれない。できれば音楽好きの人なら、なお良しと言うところか。
■ あの日、聴いた歌 1980/12/9
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■ レモン 1979/6/2
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