就職格差が大きいとされている今時代だが、サラリーマンという「職業ジャンル」に属する人達を主体に見た格差について論じられていると言うことで良いのかな?サラリーマン時代が極端に身近かかった私めにはサラリーマンが得る安定について何も魅力を感じたことがなかったからその時期も短かったのだろうかと自問自答。
入社さえできてしまえば、あとは毎日同じ時間に起きて同じ時間の電車に乗って会社に行く。会社でも同じ顔ぶれと同じ空気を吸って同じ机に座ったり。後は、適当に机で鼻くそほじくっていようが、外回りと称して映画見たりしていてもとりあえずの給料は貰える。私めが若かった当時のサラリーマンの生涯報酬は、おおよそ2億5000万円ほどだったが、今時代はどうなんだろう。そんな数字を知った頃、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった「とんねるず」の一人一人の年収がやはり2億5000万円ぐらいだった。サラリーマンが一生かかって稼ぐ(貰える)報酬と帝京高校出身のお笑い人が1年で稼ぐ報酬が同じってのはどうなんだろうなぁ・・・なんて思ってたっけ。
サラリーマンには転勤なるシステムもあるわけでしょ?自分の住む場所を会社によって決められる感覚ってのはどうなのよ?これは今でも想像つかないなぁ。とてもじゃないけど頂けるお金に見合っていると思えないんだけど。私めにとっては、ここの部分の違和感がどうしても馴染めない。自分の住む場所や空気を自分で選べないんだよ。それでも尚ヨシとして会社に貢献して、その対価を得るわけでしょ。
そう考えるとサラリーマンってのは野太い人達の集まりだよなぁ。そのサラリーマンになりたい人達が今多いってことなんでしょ?派遣だのニートだの何だのって・・・。
例えば、Aと言う会社に就職してたすると、日本の社員は自分の会社のことを他人に話す場合、「ウチの会社」と言うのがほとんどだ思うのだけれど、どう?でも、ほとんどの外国人の場合は、自分が所属する会社でも「Aは・・・」と客観的に言っていたような記憶がある。そもそも「所属」することについての概念が違うのだろうか。
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