
たまに昔見た映画を見たくなることがある。昔なら『ぴあ』を見て、どこかの名画座で上映されてないかなど調べたもだった。そして、どこかで上映されてると電車に乗って初めて足を踏み入れる土地の名画座まで、その映画を見に行ったものだった。
この頃は情報誌そのものの存在すら把握してないので、世の中にどれほどの名画座が存在しているのか分かっていない。
今時代は映画のほとんどはDVD化されてるしレンタル化もされている。従って、DVD、ビデオ以前の時代に比べるとずいぶん楽に見たい映画と再会することが可能になった。
しかし、レンタルショップではどうしても見つからないDVDや著作権の関係なのかどうかも分からないが廃盤になってしまい購入すら出来ないDVDも数多い。それらの映画との再会は難しいが故に尚更、見たいとの欲望が募ってしまう。
そんな映画の一つが『キリング・フィールド』なのだが、この度、無事?購入することが出来てかなり久しぶりに見ることが出来た。
とりわけ好きな映画というわけでもないのだが、数週間前から何故か見たい欲望に駆られていたのである。
70年代中盤のカンボジア内戦を舞台にアメリカのジャーナリストと現地カンボジアの通訳兼記者との友情を描いた映画なのだが、改めて見ると2人の絆は友情としてのバランスがずいぶん違っているのに気づいた。初めて見た時は、画面に吸い込まれてそれらのことに気が回らなかったのだと思う。
もう一つ、見終わって気づいたのは、映画の時代背景はベトナム戦争でありカンボジアであるのだが、画面の時代を今時代にスライドしてイラク戦争に当てはめてもスッパリ当てはまってしまうことだ。そう考えると、アメリカはいつも同じことのを繰り返しているし、何とも戦争好きな国なのではと思えてしまうのである。
この映画は、DVDとして所有したのでいつでも見ることが出来るのだが、この次に見たいと思う時はいつなのだろうか。もっと言えばあるのだろうか・・・。所有してしまうと、ついつい「いつでも見られる」となり、「次」が来ない場合が多いのである。
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