
ポン・ジュノという韓国映画の監督作品『母なる証明』をDVDで見た。この監督の作品を最初に見たのは『殺人の追憶』。何の先入観も持たずに見たのだが、これがすごく面白かった。韓国映画界の層の深さと広さを改めて知った感じだった。
次に彼の作品を見たのは『グエムル−漢江の怪物−』。こちらは大の期待を持って見たからでもないのだろうが、相当につまらない映画でビックリ。100本までは見ていないだろうが、今まで見た韓国映画の中で『黒水仙』と乙丙つけがたいほどの駄作だった。
で、思うわけである。あの面白かった『殺人の追憶』は何だったの?って。誰でも自分のチカラ以上のチカラが出てしまう、いわゆる「標準を超えてしまった瞬間」ってのがあるものだが、あの映画もコレだったのか?と。
そこに登場したのが『母なる証明』である。名監督なのか駄監督なのか、この映画で分かるような気がしての鑑賞である。出演は、兵役後初の映画出演となるウォンビンとドラマ『宮』で皇太后を演じたキム・ヘジャ。CMスポットなど見ると期待が募って、つい『殺人の追憶』に匹敵する作品なのでは?と思ってしまい、結局、ニュートラルな気持ちとはだいぶ違い、期待を込めての鑑賞となった。
見終わっての感想。全然ダメだった。全く面白くない。この映画を評価する人に評価のポイントを訊いてみたいものである。
起承転結で言えば、上映時間の半分にあたる1時間ほど続く「起・承」の部分が退屈で退屈で仕方ない。何度見るのをやめようと思ったことか。そして、「転」にあたる部分はちょっと意外な展開を見せてくれたが、「結」に至ってはトホホ以外の何ものでもない。
トリッキーな登場人物も「科学捜査」を趣味としているような人物でキム・ヘジャ演じるウォンビンの母に重要なヒントを与えるが、このヒントも物語の解決にほど遠く、単なる的ハズレの推理でしかなかった。何よりもウォンビン演じるトジュンが知恵遅れの若者という設定がもうダメ。推理モノのタブーとしては双子の設定などが有名だが、知恵遅れもタブーとすべきだろう。だって、何でもアリになってしまうから監督としては演出しやすい。矛盾だろうが理にかなってなくても何でもアリだから。
そんな訳で、期待して見たこの映画は全くの駄作だった。最後のシーンの母の心の整理の仕方など全く意味が分からない。よもや本当に手立ての方法(ネタバレなので抽象的)が功を奏したのか?あるいはあくまで背負うべきものを背負って生きていくのか?全く不明。それは、見た人がそれぞれ判断してください・・・とのメッセージなのだろうか?だとしたら、あまりにも不親切すぎる。あー、無駄な2時間9分だった。
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