躾け・育ち・・・なの?

京都の亀岡で並んで登校中の小学生の列に後ろから車がノンブレーキで突っ込み、大人一人と小学生一人が死亡。更に2人の小学生が重体とのこと。亡くなった大人は女性で妊娠中だったが胎児も死亡したとのこと。
加害者は、18才の少年で無免許だったとのこと。
10日ほど前には京都市内で青信号で横断歩道を渡っている人達が暴走車に撥ねられ7人が死亡した。こちらの車を運転した加害者(死亡)は、てんかん持ちだったとか・・・。
んー、何を信じて良いのか分からないなぁ。ルールを守って真面目に行動していても、こんな目に遭ってしまうとは・・・。結局、行き着くところ、人も含めてこの世に生を受けた者全て、死ぬために生まれて来た・・・ということか。
それにしても、この加害者少年にしろ、てんかんを患っていた少年にしろ、親達はもう少し何とかならなかったのだろうか?全てが全て親の責任とは言わないが、何とかできなかったのかなぁと思うのである。
てんかんを患っていた人の家族は、てんかんの持病を知っていたのだし、いくら成人しているからとしても、家族として親として、就職の際に勤め先に告知すべきだったのではないだろうか?んー、でも、その告知によって就職に不利益になると考えたとしても無理はないかぁ・・・。
無免許の少年は二輪で、無免許運転で逮捕されたこともあるとか。こちらも親や家族がしっかり管理できなかったものか・・・。
ネットでもいろいろな意見が出ている中で多いのが「躾け」という言葉。分からなくもないが、躾けに加えて「育ち」なる言葉も関係あるのでは?と思うのである。「躾け」と「育ち」・・・同じようなニオイを感じる言葉だ。躾けと言うのは、学習して体得できるモノのような気がする。片や、育ちは、学習しなくてもDNA的に伝えられて体得できるモノなのか?その辺のところはちょっと分からない。
同じように微妙なニュアンスによる違いとして位置するのが、「マナー」と「モラル」であるようにも思える。
その「育ち」だが、これは裕福な家庭=育ちが良い・・・との図式になっているように感じる。育ちが良いと言うことが、「まとも」ってことなのかな?と思うでもあるが、昔こんなことがあった。
とあるお金持ちの友達の家に、急に仲間5人ぐらいでお邪魔することになった。初めて会う、その友達の母親は何とも上品な感じに見えた。ふむふむ、これがお金持ちの家の中なのか・・・なんて、皆、興味津々。
ちょうど昼時だったこともあって、その母親は、お寿司を出前でとってくれた。ところが、届いたお寿司が食卓並んでビックリ。自分の息子には、上寿司、我ら友達連中は、並寿司だったのである!
これって、すごい事だと思う。この母親、聞けばかなりのお嬢様らしく、蝶よ花よと育てられてせいもあって世間のことにことさら疎い。だから、自分の息子と他人では区別があって然りだと思うのである。この調子で自分の子供を育ててきたわけである。それを考えると、だいぶ恐ろしい気がしないでもない。幸い、この息子は、自分の母親がずいぶん世間ズレしていることに早くから気づいてたようで、だいぶ若い時から反面教師としていたようであった。そのせいで?他の友達に比べてもかなり人のことを想い、気配りに長けた大人になった。
だから、今回の2つの事故(事件)に関しても、親や家族がどうにかできなかったのか?とは思うのだが、短絡的に「躾け」とか「育ち」とかで済むことなのかな?と少々思うのである。難しい・・・。
※掲示板『寄合処』は、コチラから。