1990年代後半、稚拙ながらも個人のホームページなんか作ってインターネットの社会にデビュー。アクセス・カウンターや掲示板なども設置してどのくらいの人が見に来てくれるのだろう?と興味を示していた時代だ。インターネットの回線もダイヤルアップ(完全に死語だな)が主力で今とは比べものにならないほどアクセス・スピードが遅かった。画像などなかなか開かない。ずいぶん不便な時代だった。でも、その時は、それが普通のことだから特別に不便や不満も感じないのが時代の成せる業とでもいうか。
設置した掲示板への書き込みをしてもらうと何と嬉しかったことか。書き込みの主はハンドルネームといって俗称・アダ名のようなモノを皆使っていた。Facebookなどと違って実名でネット社会で交流することなどあり得なかったし、インターネットの教則本なんかでも、実名での交流は避けるよう促していた時代である。
そのハンドルネームは皆それぞれだったが、それがその人の証だから尊重するしかない。やがて、掲示板を中心に展開していたネット上の交流がオフ会と言ってリアルな社会での交流へと繋がる場合もあった。いよいよ、ハンドルネームの人とのご対面である。胸ときめかせて?オフ会の会場に足を運び見慣れた人と出会う。ネット上では行き来あるもののの実際には初対面である。当然驚きもある。キラキラなハンドルネームの人のリアルに等身大な容姿とのご対面である。目眩しそうなことも多々あった。「チミが○○さんか!」・・・。この時から、インターネット上ではハンドルネームのままだが、実社会では本名での付き合いにと変化する。
ハンドルネームの付き合いと同じようなことは愛犬を通じても起こりえる。いつも犬の散歩で出会う飼い主さんとの交流である。最初は会釈程度だが、犬達が媒介してくれて飼い主さんと声をかわすようになる。最初はお互いの愛犬の名前交換である。我が家であれば大福なので自分は「大福パパ」となる。自分が男飼い主だからと言うこともあるのだが、ここから先は女性飼い主同士の場合と少し違う。「今度、ランチでも一緒にしましょう?」などとはなかなかなりづらいのでお互いの社会上での名前までたどり着かない場合が多い。実際、大福が旅立ってしまってから、まったく交流が途絶えてしまった飼い主さんのほうが多い。多いどころか9割以上の飼い主さんと大福の死後に行き来したことがない。せいぜいFacebookで本名としての付き合いがある人との交流が少しだけ残っているだけである。
それは同じ集合住宅内でも同じなのが奇妙と言えば奇妙である。毎日のように顔を合わせていた飼い主さんなのに名前も知らない。中には愛犬の名前すら知らない人もいた。いわゆる「顔見知り」程度である。ま、そんな希薄な関係が今時代の当たり前なのかもしれない。だいぶ淋しい関係だが・・・。
そんな希薄な関係が多い中、驚くことに実社会で交流があるのに本当の名前を知らない・・・なんて、ギョッとしそうな関係もあったりする。SNSなんかで本名を明かさない主義なのかハンドルネームというか俗称で社会に君臨?している人もいたりする。う~ん、真意の程は分からないが、それは自分の理解の範疇を超えている。今時、本名を明かさずに社会生活を営むなんてこと自体が相手に対して失礼千万としか思えないし、よもやテロリストだったり指名手配などされていて名前を明かせない事情でもあるのか?などと考えてもしまいそうである(それはないか)。どんな事情があるにしても、このタイプに心を開くことはまずないし開くこともできない。だって、どう考えてもリアルな社会でそれはないものね。そもそも気持ち悪いもの・・・。
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