洋高邦低・・・今は、あまり使わない言葉かもしれない。しかし、自分の中では比較的使っていたし目にも耳にもしていた。主に、音楽や映画を語る場面で使っていた。今時代は洋邦だいぶ近づいたのかもしれないが、1970年代の音楽シーンは明らかに欧米の音楽のほうが質も高かったし日本の音楽は良くて模倣、ポップスやロックのオリジナリティは明らかに低かった。映画については、正直、今も洋高邦低のように思える。
オバマ大統領が原爆被爆地である広島を訪れたニュース映像を見ていて何故か洋高邦低のことを思い出してしまったのだ。ようやくアメリカの長である大統領が訪れたわけだが、正直、あんなに歓迎されるとは思っていなかった。広島の町はもっと混乱するのかと思っていた。そうならなかったのは、日本人が大人しすぎると言うことだけではないのだろう。来る者(理解しようとする者)拒まず・・・広島の皆さんの根底にある思いは、自分のような外野的なものが想像する以上に深いものであると実感した。
ただ、オバマ大統領が来て被爆者の方にも会ったことで、ややもすると雪解けムードにも見えてしまうことにはいささかの驚きがあるのも事実である。そして、オバマ大統領の周りをお世話係のようにクルクル回っていた安倍総理を見るとやはり洋高邦低の思いは否めない。安倍総理はたぶんだが、今まで被爆者の方達と面と向かったことはなかったように記憶している。それが手のひらを返したように被爆者の方にも笑顔を向ける・・・。そのバタバタ感が洋高邦低のイメージを抱くのかもしれない。オバマ大統領の訪問が自分の予想以上に美化として受け入れられたことにも洋高邦低感を感じるのである。
そして、更に洋高邦低を感じること。
それは東京ディズニーリゾートで毎日夜開催されているパレードだ。愛犬柴犬・大福との生活が主だったので、大福を迎えてから以降、年間パスポートの購入をやめたことだけでなく、TDRはディズニーシーがオープンした年以降行っていない。だから、今の様子などまったく分からないことを前提に少々。
パレードでのフロートごとの演出については今更言うまでもないが、あの山車(フロート)の上で手を振ったりパフォーマンスをするのは、ディズニーの各キャラクター(この際、言ってしまえ!着ぐるみ)と外国人だけでしょ?日本人でフロートの上で演じている人っているのかな。日本人は、金髪や赤毛のカツラを被って地面で踊ったりパフォーマンスするだけだと記憶している。のっぺりした顔立ちに欧米人のような髪の色のカツラを被った姿・・・これはどうにもいただけないし屈辱的でもある。クチ悪く「外人なだけ」の容姿であろうが、外国人はそれだけでフロートの上に上がることができる資格?が得られる。これって、もう完全に洋高邦低でしかない。
そうそう、同じような理由(日本人のニセ外国人扮装)で、自分はミュージカルを見ない。どうにも滑稽でしかなく、どんなに名作であろうが見るに耐えないのである。
■ 外人なだけ・・・。
■ 日本人は、以下同文・・扱い。
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