備えあれば憂いなし vs 過ぎたるは及ばざるが如し
とあるクリアファイルに挟んでおいた書類。そのクリアファイルは共有閲覧も可能なので、それを見た人がとある書類を見て「あ、これも入っちゃってますよ」と教えてくれた。恐らく間違えて入ってると思って指摘してくれたのだと思う。う~ん、でも、自分としては入っちゃったのではなく、入れておいたのである。意思をもって入れたのである。たぶん、こんなことって自分以外でも思い当たる人がかなり多いと思う。
こういう思いのすれ違いって価値観もだが、きっと「備えあれば憂いなし」派と「過ぎたるは及ばざるが如し」派の違いなのかなと思うのである。ちょっと前に「石橋を叩いて渡る」について書いたこともあるが、それも合わせて考えてみると人との関わりってホント難しい。反目でもしての関わりあいならずいぶん楽に理解できるが、こと好意の線上や延長線上だと難しいのなんのって。
これが恋愛の始まりの頃だったりすると、難しさはもっと違うんだろうな・・・とつい遠目に。
余談だが、「過ぎたるは及ばざるが如し」は正確には?「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」なんでしょ?日常生活では正確じゃないほうしか使っていないなぁ・・・。
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tag : たわ言 分かりあう 価値観 見え方 感じ方 備えあれば憂いなし 過ぎたるは及ばざるが如し 恋愛ならなお難し 石橋を叩いて渡る
2004年12月26日(日)の大福
※大福日記『日々徒然』
2004年12月26日(日)■ 忍術の極意とは ■ 大福:生後983日目
猿飛佐助という忍者が実在したかどうかは定かではない。ただ、彼に関するエピソードは数多く残っている。その中でも面白いのが「忍術の極意とは」という話だ。
佐助が城の殿様に呼ばれ、忍術の極意を見せてくれと言われた時のことだ。佐助は身に巻いていた腰帯をほどき、畳の上に真っ直ぐに敷いてスタスタとその上を歩き始めた。そして帯の上を渡り歩き終えると正座して殿様に「これが忍術の極意でござりまする」と言ったそうだ。
殿様は愚弄するでないと烈火のごとく怒ったが、佐助は怯むことなく更に言ったそうだ。「忍者はこの帯がいかなる高さにあっても同じように渡ることができます」と。殿様は二の句がなかったらしい・・・。
大福は近くの図書館横を通過する時、必ず狭いコンクリートの境界線の上をスタスタと歩く。大福は忍犬なのかも・・・。
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