忖度(そんたく)なんて言葉はちょっと前まで知らなかったし、もちろん自分で使ったことなど一度もない。「ま、よしなに」なんて感じのイメージなのかな・・・と勝手に思い描いてはいるが、近からずも遠からずなのだろう、たぶん。
その忖度よりももっと理解不能なのが、#MeToo。これは、私もセクハラ被害に遭ってます(遭ったことがあります)・・・という意味で良いのかなぁ。主にセクハラとセットで使われているようだが。
セクハラってのも微妙な言葉で、いわゆるセクシャル度が強い場合とパワハラ度を含んでいる場合もけっこうあるように感じる。で、その両方を含めてセクハラと称する・・・こんなところだろうか。
なかなか厄介な言葉ではあるよね。主に女性が世間に向けて使う言葉のようだが、これは男性にもいえることでしょ?女性がする男性に対してのセクハラ・・・かなり多いはずなんだけど、男は面子や面倒臭いからかあまり声高にアピールしない。でも、近所の年配女性や親戚のオバチャンから「もう、イイ歳なんだから、結婚考えなきゃ」なんてのは、男女問わずにセクハラ言葉でノーのはず。ということは、昔必ず町内や親戚に必ずいた世話やきのオバチャンなんか今時代では完全に居場所がないはず。中高年の生き甲斐を奪ってしまっているといっても良いだろう。ま、いたらいたで面倒な存在なのだが。
バブル世代(50歳超えくらい?)の女性なんかが今のセクハラ実体の境目ぐらいなのかなぁ。バブル期は、女度をアップして女として楽しみ遊んでいた女性と、男女雇用均等法(1985年制定、86年4月施行)をきっかけに仕事に生き甲斐を見出した女性と分かれるのかもしれないな。
この仕事に生き甲斐を見出そうと頑張って女性が今現在の道を切り開いたことは事実であろう。ただ、悲しいかな水は高きより低きに流れる・・・そう、世の中ご都合主義で成り立っているのも事実。この時代の女性の「我慢」が男たちを勘違いさせたのも事実なのかもしれない。
ややもするとホステスまがいの扱いも多くあったことだろう。しかし、仕事人としての自身の地位向上を思うと「我慢する」という解決の仕方を優先せざるを得なかったのも事実であったはず。この我慢する姿を男たちが勘違いしたし、都合の良いように解釈してしまった。このあたりが今のセクハラ、MeTooへの始まりなのではないのかなぁ。昔からある言葉、「イヤよイヤよは、イイのうち」・・・なんとも浅はかでぞんざいな言葉を思い出さざるを得ない。
女性たちは時代の流れに耳を傾け、常に敏感だった。しかし、男は時代に鈍感で流れを読むことを怠けた。ぞんざいな楽な位置にしがみついたままだったのではないのかな。ぞんざいの中には「当たり前」とか「大丈夫」とか「問題ない」とかも含まれるのかな。ノーといわれなければ全てOKみたいな感じで。
さて、これら開拓者のような女性に対して、反対に位置する女性もかなりいる。か弱い女たちである。男に依存しているとまではいわないが、独り立ちなどまったく考えていない女性である。仕事女性に対しての専業主婦のような位置関係とでもいえば分かりやすいか。
この女性たちの動き(動かなさ)が女性の地位向上の妨げになっていたのも事実だろう。これらの女性たちも学校を出てから最初から家庭に入ったわけでもないだろうから、短い時期でも社会という組織に属していた時期があるはず。その期間が「腰かけ」程度の短いものであっても、男性社員と共に社会の歯車になっていた時期があった。そんな短い時期でもセクハラの温床となるイヤなことを経験しただろう。でも、女性の地位向上を目指す女子社員とはあまり交わることがなかったのかもしれない。それぞれの女性がお互いの立場(立ち位置)を異質として考えていたから。この腰かけ女子たちの立ち振る舞いが男たちの勘違いに拍車をかけたのも事実だろう。
ミスコンがいつの時代にも存在すること。正月の仕事始めに着物を着せられる証券の世界も同じ。もっといえば、女性専用車両の存在。居酒屋のメニューや飲み会で男:5,000円、女:2,000円などの価格の違い。こういう「女性優遇」な現象に対して、今、MeTooとか声高に主張している女性はどう感じてどう思っているのだろうか。正直なところ、そのあたりの話をぜひ聞いてみたいものである。よもや、ソレとコレとは別・・・などとは思っていないだろうから。更に、産休の話までし始めるとマタハラにまで及んでしまうから大変である。
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